|
題名 |
公開日 |
人数(男:女) |
時間 |
こんな話 |
テキスト |
作者 |
雲の彩(いろ) |
2013/08/08 |
4(2:2) |
30分 |
色街で色恋に狂う女(イロ) |
|
シン |
登場人物 |
性別 |
その他 |
薄雲・斎賀
(うすくも・さいが) |
♀ |
同一人物 |
源六
(げんろく) |
♂ |
|
阿部
(あべ) |
♂ |
|
亜樹
(あき) |
♀ |
|
『雲の彩(いろ)』
雲の彩
薄雲・斎賀(同一人物) 女
源六 男
阿部 男
亜樹 女
畳の部屋。一組の男女。
男は女の膝に頭を乗せ、気持ちよさそうに目を閉じている。
女は男の髪をゆっくりと撫でている。
源六 気持ちいい…。薄雲太夫の膝が一番落ち着きます。
薄雲 どなたと比べての一番でありんしょうか、源六様。
源六 言葉のあやですよ。薄雲と比べられるものなんてないよ。
僕が君にしか興味ないことくらい、知っているでしょう?
薄雲 源六様が、この吉原にお見えになってから、今日この日まで、
他の方のところへ行かれたことがないのは承知しておりんす。
源六 今日までも、これからも、他の人のところへ行くことはないよ。
君に会うためだけに、僕はこの街に来ているんですから。
薄雲 ありがとうございんす。
源六 …君に会ってから、もう二年になる…。僕が、君を、薄雲太夫を身請けしたいと言ったら、頷いてくれるか?
薄雲 わっちの身請けなど…ご冗談はよしてくんなまし。
源六 冗談なんかじゃないのは、君が一番よくわかっているはずだ。
薄雲 源六様は、お見えになる度に唄や舞、こうした膝枕のように、戯れのような触れ合いを望まれるだけ。
わっちには直接触れたことはありんせん。
源六 そうだね。
薄雲 子が母へ求めるような触れ合いを望むのであれば、家に置くよりも、このようにお越し頂く方が良うござんす。
飽きず、疎ましくならず、源六様の負担になりんせん。
源六 僕は貴女を母のように思ったことは一度もない。最初から君を女性として愛しています。
薄雲 お戯れを…。
源六 戯れでも冗談でもない。
愛しているからこそ、気持ちがほしいからこそ、今まで薄雲太夫に触れることができなかったのです。
ここで抱くことは簡単です。けれど、それは所詮金で買ったもの。
僕は薄雲の身体だけがほしいんじゃない。心も身体も、君の全てが欲しいのです。
薄雲 ご冗談…ではないのでありんすね。
源六 もちろん。…本当は君も気づいていたのでしょう?
薄雲 …わっちも、太夫の名を頂く者。殿方の気持ちを察し、過ごしやすいようにするのもわっちの務め。
…源六様のお気持ちは、お察し申しておりんした。
源六 では返事が欲しい。さっきも言ったように僕は君の気持ちも欲しい。だから無理矢理連れて行くことはしたくない。
薄雲太夫の気持ちがないのなら、一緒にいる意味はないから。
薄雲 ありがとうございんす。…でも、わっちは源六様とは一緒に行けないでありんす。
源六 …僕が、嫌いですか?
薄雲 いいえ!決してそのようなことはありんせん!
源六 では何故!
薄雲 わっちは…わっちは、罪人でありんす。
源六 え…。
薄雲 わっちは、負った罪を胸に刻んで、この吉原で生きていこうと決めているのでありんす。
源六 それは、年季が明けてもここにいるということですか?
薄雲程であれば、借財など残らないでしょう。
薄雲 それでも、わっちはこの街を離れるつもりはございんせん。
源六 …その罪とは、何ですか?何がそれ程の罪なんですか。
薄雲 聞かないことには、納得できんせんか。
源六 ええ、君がどんな罪を犯していたとしても、僕の気持ちはきっと変わらない。
君をこの街に縛る罪が、どんなものなのか知りたい。…知っても納得できるかどうかは、わからないけれど。
薄雲 …分かりんした。では、わっちの罪をお話し致しんす。
わっちがまだ薄雲の名を頂く前、斎賀の名の時のことでありんす。
わっちは、この吉原に身を置きながら、一人の殿方に恋慕の情を持ちんした…。
畳の部屋。向き合う男女。
斎賀 お待ち申しておりんした、阿部様。
阿部 おお、今日も相変わらず美しいな、斎賀。
斎賀 ありがとうございんす。阿部様はまた一段と男前を上げられたようで、いつお会いしても惚れ惚れ致します。
阿部 世辞でも斎賀のような女に言われるとうれしいものだな。
斎賀 お世辞などではありんせん。本心でありんす。
阿部 ははっ、わかったわかった。
斎賀 二度同じ言葉を繰り返す時は、本心ではないと聞いたことがございんす。
阿部 わかったから向きになるな。斎賀は俺の言葉を疑うのか?
斎賀 そんなことはありんせん。わっちは阿部様のお言葉をいつも信じておりんす。
阿部 よし、いい子だ。
斎賀 今日はいかがいたしんしょう。
阿部 そうだな…。楽(がく)でも聞きながら、酒をもらおうか。
斎賀 ではそのよう。
亜樹、そこにおりんすか。
亜樹 はい、ここに。
斎賀 酒と三味線を。
亜樹 わかりんした。
斎賀 阿部様、少しお待ちくんなまし。
阿部 ああ、今日は三味線か。お前が弾くか?
斎賀 わっちはお酌を。弾き手は先ほどの亜樹が務めんす。
阿部 ほう、上手いのか?
斎賀 それはもう。亜樹はこの三浦屋で一番の弾き手でありんす。
阿部 そうか、それは楽しみだ。
亜樹 お持ちしたでありんす。
斎賀 亜樹、三味線はお前が弾くでありんす。
亜樹 わかりんした。
斎賀 阿部様、お酒を。
阿部 あぁ。…美しい女の酌で飲む酒はいつもより美味く感じるな。
斎賀 ありがとうございんす。
阿部 そして、本当に見事な音色だ。
斎賀 そうでありんしょう。
阿部 名は…亜樹、とかいったか。他にも何か弾けるのか?
斎賀 楽(がく)は何でも一通り。唄も見事でありんす。
阿部 何でもできるのか。…亜樹、こちらへ来てくれ。聞きたいことがある。
亜樹 …え?
斎賀 阿部様、わっちでお答えできることであれば、お答えいたします。
阿部 いや、亜樹に聞きたい。
斎賀 …わかりんした。亜樹、お答えするでありんす。
亜樹 はい。
阿部 先ほど斎賀が、お前は楽(がく)は何でも見事にこなすと言っておった。
亜樹 ありがとうございんす。
阿部 俺も笛を嗜むことがあるが、あまり上手くはならん。どうすれば上手くなる?
亜樹 それは、阿部様のお努めが足りないのでありんす。
斎賀 亜樹っ!阿部様、失礼なお言葉、申し訳ありんせん。
阿部 ははっ、いい。確かに俺の努力は足りておらんからな。
では亜樹、お前は何故それ程に努力を重ねたのだ。
亜樹 見ての通り、わっちは器量が良うございんせん。
斎賀や他の方のように、美しければ目を楽しませることもできましょうが、わっちにはそれができんせん。
ですから、わっちは目ではなく耳を楽しませようと思ったのでありんす。
阿部 ほう…。そこまで上手くなるには相当努力したのだろうな。
亜樹 はい。
阿部 謙遜はしないのだな。
亜樹 はい、わっちは自身の努力を誇っておりんす。
阿部 なるほどな。しかし、身体を使えば、楽(がく)などできなくとも男を楽しませることはできよう。
亜樹 それは美しい方でも取れる手段。目と身体が楽しめるなら、誰でもそちらがいいに決まっているでありんす。
ですから、わっちは目の変わりのものとして、耳を選んだのでありんす。
阿部 ほう…。その努力をやめたい、と思ったことはないのか。
亜樹 歩みを止めるのは簡単で、再び歩き出すのは困難でありんす。
そして、止まったまま座り込んでしまうのもまた、とても簡単なこと。
そうしたいという思いに駆られたことは幾度もございんす。
けれど、それはわっちがなりたいものではないのでありんす。
わっちは、わっちに誇りを持って生きて行くと決めておりんす。
ですから、どのように大変な道でも、わっちは歩みを止めるつもりはございんせん。
阿部 …。
亜樹 それに、わっちが上手くなる度に、店の旦那様や姐さん方、殿方も喜んでくださる。
それはとても嬉しいことでありんす。
阿部 そうか。…斎賀。
斎賀 はい。
阿部 今から亜樹に笛を習いたい。
斎賀 え…。
阿部 かまわないよな?
斎賀 それは…もちろんでありんす。
亜樹 阿部様、笛はお持ちでありんすか?
阿部 いや、持ち歩いていない。やはり笛がないと無理か?
亜樹 では、旦那様にお渡しできるものがないか聞いてくるでありんす。
阿部 頼む。
亜樹 では、失礼いたしんす。
斎賀 …阿部様。
阿部 なんだ?
斎賀 いつになく楽しそうでありんす。亜樹を気に入りんしたか?
阿部 まぁな。…なんだ?妬いてるのか?
斎賀 それは…そんなことは、ありんせん。
ここは花街。ひと時の夢を楽しむ街。
阿部 そう、夢の世界に醜い感情は不要。
外のことは持ち込まず、中のことも持ち出さない。
俺はひと時の夢を楽しむためにここにいるんだ。
斎賀 承知しておりんす。以前にもお伺いしたことがございんす。
阿部 そうだったか。
斎賀 阿部様のお言葉はすべて覚えておりんす。
阿部 そうか。俺はお前のその頭の良さと美しいところを気に入っているんだ。
斎賀 ありがとう、ございんす…。
源六 随分割り切った考え方の男だね。僕とは正反対だ。
薄雲 そうでございんすね。
阿部様はずっとその様に申しておりんした。中は中、外は外、と。
ですから、年季も開けていない女を連れ出す身請けなどは考えたこともないと言っておりんした。
源六 薄雲は、その男を好いていたんですね。
薄雲 はい。阿部様はひと時の夢を楽しみに来ているだけの方。
いくら好いても、その想いが届くことは決してありんせん。
それでも良かったのでありんす。わっちのことを想ってはくれなくても、誰に対しても同じだったから。
源六 そうか…。
薄雲 でも、人は変わるものでありんす。あの時から、予感はありんした…。
源六 亜樹という者か。
薄雲 …はい、阿部様は亜樹に興味を持ち、お見えになられた際は必ず亜樹にお声をかけるようになりんした。
源六 その者は薄雲太夫よりも美しかったのか?
薄雲 ふふ…先ほどの話でも申しましたように、お世辞にも器量よし、とは言えない者でありんした。
けれど、楽(がく)にその人柄が表れるかのような、まっすぐで綺麗で清廉な人柄の方でございんす。
源六 そう…。薄雲がそれ程言うのであれば、素晴らしい人だったんだろうね。
薄雲 ええ。…ただ、その頃のわっちは若さ故か…色恋に狂っていた故か、それを認めることができなかったのでありんす…。
源六 薄雲が?
薄雲 源六様にはわっちはどのような聖人に見えているのでありんしょうか。
わっちもただの人。醜い気持ちはございんす。
…そんな時でございんした。阿部様が、亜樹を身請けするという話を聞いたのは…。
畳の部屋。
脇息に肘を置き、障子窓の向こうを眺める男。
窓の反対にある、廊下に面する襖がすっと開く。
斎賀 阿部様。久方ぶりでございんす。
阿部 斎賀か、相変わらず美しいな。
斎賀 嬉しいお言葉でありんす。阿部様も相変わらず男ぶりでありんすな。
阿部 亜樹はいるか?
斎賀 亜樹は今、他のお部屋でお琴を弾いておりんす。
阿部 そうか…。
斎賀 すぐにこちらへ来るでありんす。…わっちでは不満でありんすか?
阿部 いや、そうじゃないが…。
斎賀 久方ぶりにお話しできるかと思って楽しみにしていたのでありんすが…。
阿部 いや、悪い。そうだな、最近はここに来ても亜樹ばかりで、斎賀と話すのは久しぶりだな。
斎賀 …お笛の腕前は、上達なさいましたか?
阿部 ああ、亜樹が教えてくれてから評判がよくなった。
斎賀 それはようござんした。
阿部 お前にも聞かせよう。
斎賀 ありがとうございんす。…阿部様。ひとつ、お聞きしたいことがありんす。
阿部 なんだ?
斎賀 …中は中、外は外。この考えは、今も変わっておりんせんか?
阿部 …なにか、聞いたのか?
斎賀 噂が…。阿部様が、亜樹を身請けうするというお話を聞きんした。
阿部 そうか…。
斎賀 噂は噂。そう思ってようござんすか?
阿部 …いや、それは、事実だ。
斎賀 亜樹を、身請けすると…。
阿部 そうだ。
斎賀 何故…。
阿部 何故、か…。…亜樹といると、俺は変わる。
その変化を楽しいと思う俺がいるから、長く共にいたいと思ったんだ。
斎賀 …わっちは…わっちは、阿部様を好いておりんす。
阿部 …知っている。
斎賀 何故、何故わっちはでないのでありんすか!
あんな器量の悪い女に、わっちが劣るというのでありんすか!
阿部 お前は確かに美しいが、俺は美しいだけの女では変われない。
斎賀 あんな、あんな女に負けるなど…。
阿部様が亜樹を選ぶというなら、わっちはこの命、今ここで絶つ覚悟でありんす。
阿部 っ、お前、その小刀どこから…。
斎賀 阿部様に選んでもらえないのであれば、この身に価値などございんせん。
阿部 …本気、なんだな。
斎賀 冗談でこのようなことはできんせん。
阿部 そうか…。
斎賀 …。
阿部 …それでも、俺は亜樹を選ぶ。たとえここでお前が命を絶っても…俺を刺しても、俺の気持ちは変わらない。
斎賀 っ…!そんな、そんなにあの醜女(しこめ)がいいと!?
何故!なんで!あんな、あんな…っ!
亜樹 阿部様、遅くなり申し訳ございんせん。亜樹でありんす。
斎賀 亜樹…。
阿部 ちっ、こんな時に…。
亜樹 失礼いたしんす。
斎賀 亜樹…。
亜樹 斎賀…?…その小刀は…。
阿部 亜樹!下がっていろ!
斎賀 …わっちが死んでも、自分が刺されても構わないと申しましたんに…。
それ程、それ程に亜樹が大事なのでありんすか…。
亜樹 なるほど…。
阿部 亜樹!?何故こちらへ来る!下がれと言っただろう!
亜樹 これは、お二人だけのことではございんせん。わっちにも関係のあること。
それを放って下がるなど、できるわけありんせん。
阿部 …こんな時まで、お前はお前なのだな。
亜樹 わっちはいつでも、わっちのままでありんす。
阿部 そうか…。
斎賀 こんな時でも、二人の世界をつくると…。
亜樹 斎賀、やめるでありんす。そのような事をしても何も変わりんせん。
斎賀 …何故、お前にそのようなことを言われなければならない。
亜樹 貴女は美しく、聡明な方。本当は自分が一番わかっているはずでありんす。
斎賀 お前に私の何がわかる!
亜樹 知っておりんす。美しくあろうと努めていること。
阿部様に褒められたわっちに負けないようにと、あれからずっとお琴も笛も、唄も、上手くなろうと努めていること。
斎賀 そんな、そんなこと!阿部様がいないなら意味などない!
亜樹 意味はありんす。努力すること、変わること、自分を磨くことに無駄なことなどございんせん。
斎賀 無駄だ!無駄になった!亜樹が、お前がいたから!
阿部様が誰のものにもならないのなら、この気持ちを口にするつもりなどなかった!
阿部様が変わったから、お前を身請けするなどと…!
阿部 俺は変わったことに後悔などない。俺は変わった、お前も変わる時が来る。
斎賀 変わりたくなどなかった!あのままでよかった!
亜樹 時が止まることはございんせん。望もうと、望まざろうと、時は過ぎ、良くも悪くも変わっていくのでありんす。
斎賀 変わらなかったはずだ!亜樹さえいなければ!
阿部 物事は変わる。亜樹がいなくても、俺はいずれお前に飽きて、ここには来なくなったかもしれない。
亜樹 わっちがいなければ、斎賀が楽(がく)に向き合うことはなかった。その変化は、嫌な変化でありんしたか?
斎賀 うるさい!黙れ!
お前さえ、お前さえ!亜樹さえいなければ!わっちは…。
亜樹 斎賀…。
斎賀 消えてしまえええええええええ!!
亜樹 っ…!
阿部 亜樹!!
薄雲 わっちは、亜樹に刀を向けんした。
源六 それは…。
薄雲 亜樹を、この世界から消したのでありんす。
源六 薄雲…。
薄雲 これが、わっちの罪でありんす。
わっちは、亜樹に負けない綺麗でまっすぐな女になるまで、ここを離れるつもりはございんせん。
ですから、身請けのお話しはお受けできないのでありんす。
源六 …どうすれば、綺麗でまっすぐな人になったと、思える?
薄雲 さぁ…どうなんでしょうなぁ…。
少なくとも、わっちはまだ自分に満足はしておりんせん。
源六 そうか…。わかった。
また、来る。
薄雲 はい、またお待ちしておりんす。
≪後日≫
畳の部屋。一組の男女。
女は室内であるにも関わらず、笠を目深にかぶっている。
襖がすっ…と静かに開く。
薄雲 失礼いたしんす。
源六様、久方ぶりでありんす。
源六 ああ。
薄雲 本日は、お連れ様がおられるとお伺いしておりんすが…。
ご案内の者が笠をお預かりし忘れたんでありんしょうか。申し訳ございんせん。
源六 いや、笠は断ったんだ。
薄雲 お忍びの方でありすか?
亜樹 …お久しぶりです、斎賀。…今は薄雲太夫でしたね。
薄雲 …え。
亜樹 貴女以外に顔を見られたくなかったので、失礼かと思いましたがここまで笠をかぶらせていただきました。
薄雲 …。
亜樹 ふぅ、慣れないことをすると疲れますね。やはり視界は広い方がいい。
薄雲 …亜樹…。
亜樹 お久しぶりです。…すいません、二度と顔を見せないよう言われたのに…。
薄雲 …源六様、これは…。
源六 すいません。薄雲太夫のお話しを聞いて、亜樹さんのことを思い出しました。
仕事で付き合いのある家の方なんです。
楽(がく)が堪能で、失礼ながら器量が良いわけではなく、そして、ある日突然来られた経歴不明の方。
もしかしたら、この亜樹さんが、薄雲の話の亜樹さんと同じではないかと思い、連れてきてしまいました。
薄雲 そんな…。
源六 亜樹さんを、殺したわけではなかったんですね。
薄雲 それは…。
亜樹 斎賀は、そのようなことはしていません。あの時…。
阿部 亜樹!!
斎賀 …ふっ…くぅっ、わああぁ…っ。
亜樹 斎賀…刺さないのでありんすか…。
斎賀 そんな…ことをしても、阿部様のお心は、変わりんせん…。
阿部 斎賀…。
斎賀 分かっておりんした…。それでも、認めたくなかったのでありんす…。
阿部 …すまない。
斎賀 謝る必要は、ございんせん。すべてはわっちの醜い心が勝手にしたこと…。
所詮わっちの独り相撲でありんす。
亜樹 斎賀…。
斎賀 …同情など、いらないでありんす。
同情するくらいなら、今すぐわっちの目の前から消えて、二度と現れないでほしいでありんす。
亜樹 それは…。
斎賀 阿部様、今すぐ旦那様に身請けの金子(きんす)を払って、わっちの前から亜樹を消してほしいでありんす。
阿部 斎賀。
斎賀 阿部様なら、それができるはず。
阿部 …それは可能だが。
斎賀 では、お願いいたしんす。
亜樹 わっちをここから追い出すんでありんすね。
斎賀 …そうでありんす。わっちは心根の醜い女故、自分よりも綺麗なものが近くにいるのは許せないのでありんす。
亜樹 わっちが斎賀より美しいと?
斎賀 この世界にあって、そのような心根を保っていられる亜樹は眩しいのでありんす。
…阿部様が亜樹に惹かれる理由も、本当はわかっておりんした。
阿部 斎賀も十分美しい。亜樹がそれより少し上を行ってしまっただけだ。
斎賀 ふふふ…阿部様は、亜樹にべた惚れでありんすなぁ…。
阿部 …うるさい、自分で言って少し恥ずかしかったんだから言うな。
斎賀 ふふ…阿部様、わっちは、亜樹よりも美しくなりんす。
これから、この吉原で女を磨いて、心を磨いて、誰よりも…亜樹よりも美しくなりんす。
阿部 そうか。
斎賀 その時に、悔やんだとしても、わっちはもう阿部様をお慕いすることはありんせん。
阿部 そうか。
斎賀 亜樹。どこに居ても亜樹は亜樹であると、美しくいる方であると信じているでありんす。
亜樹 ありがとうございんす。
斎賀 だから、二度とここには足を踏み入れず、幸せになってくんなまし。
そうでなければ、決して許しんせん。このわっちから阿部様をとっていくのでありんすから。
亜樹 …わかりんした。
斎賀 ……早くいってくんなまし。わっちはもうお二人のお顔は見たくないでありんす。
亜樹 …斎賀、ありがとう。さようなら。
阿部 お前は亜樹の次にいい女だ、俺が保証する。
斎賀 そんなこと、知ってるでありんす…。二度と、お会いしないことを、望んでおりんす…さらばでありんす…。
薄雲 亜樹、何故ここに来たでありんすか?もう二度と会うことはないと思っておりんしたのに…。
源六 亜樹さんを責めないでください。僕の我儘に付き合ってもらっているんです。
薄雲 源六様…何故…。
亜樹 斎賀…いいえ、薄雲太夫。源六さんは、太夫の身請けを真剣に望んでおられます。
薄雲 亜樹…。
亜樹 太夫は誰よりも美しくなられた。外見はもちろん、内面も。だからこそ、太夫の名を頂いたのでしょう。
…誰よりも、私よりも、太夫は美しいです。
薄雲 …源六様に、そのように言うようにと頼まれたでありんすか?
源六 僕はそんなこと頼んでない。
亜樹 ええ。ただ、身請けしたいけれど、この街に縛られてしまった方がいる、と。
薄雲 わっちは縛られてなど…。
亜樹 では、何故身請けを断るのです?源六さんがお嫌いですか?
薄雲 そんなことありんせん!
亜樹 そんな必死に否定するのに、身請けを断るのですか?
薄雲 わっちは…わっちは、変わったでありんしょうか…。
亜樹に嫉妬して刃を向けた、醜いあの時から、変わったのでありんしょうか…。
源六 変わったかどうかは僕には分からないけど、僕は君の見た目以上に美しくまっすぐな心を、
そして、誰よりも人を思って動く君を愛しているよ。
亜樹 変わったかどうかは、私にもわかりません。
しかし、貴女をこの街に縛る罪とはなんですか?私に刃を向けたこと?私をここから追い出したこと?
そんなものは罪でも何でもありません。私はとても幸せなのですから。
…貴女はまだ、自分を許せませんか?
薄雲 …わっちは、怖いのでありんす。ここから出て、また自分が変わること。そして、源六様が変わること…。
源六 僕が?
薄雲 時は流れる、物事は移り変わる。人は年老いる。
美しくなくなっていくわっちを、源六様は好いていてくださるか、自信がないのでありんす。
源六 僕は君の外見だけを好きなわけじゃない。さっきも言ったでしょう?何よりも、君が君であるからこそ、愛している。
亜樹 …阿部様は、今も私をとても大切にしてくださっています。
あの時と同じように、いいえ、それ以上に。
だから私は、あの人が好きになってくれた心を保とうと努力できる。だからあの方は、またずっと私を愛してくださる。
お二人も、きっと大丈夫。源六様を信じることはできませんか?
薄雲 源六様を…。
源六 誓うよ。ずっと、君だけを愛する。
この店にはもう来ない。まぁ君がいないところに来る用事もないけれど。
この街にだって、もう足を踏み入れない。薄雲を大切に、君だけを愛するよ。
だから、どうか僕を信じてはくれないか?
薄雲 源六様…。
源六 君が綺麗でいられるよう、僕も努力する。
薄雲 わっちは…。
源六 二人で歩んでいこう。
変わらないのではなく、二人で成長していこう。
だからどうか、僕と共に生きてください。
薄雲 …はい、わっちも、源六様にずっと好いて頂けるよう努めていくでありんす。
二人で共に歩んでいきんしょう…。
終
**********
あとがき
てまこんのテーマ 色。で応募した作品です。
13作品の応募の中から投票で優秀賞に選ばれました。
2014/05/15改訂 |
|